2012年3月29日木曜日

LONDON遠征レポート(2012年3月13日-19日)



2012年3月13日~19日の日程で、大阪から4チーム合同(岩田、レオ、吹田南、生野)のU-13、U-14と指導者の方々がロンドン遠征にやってきました。

僕は、英語とイタリア語(イタリア人スタッフもいたため)の通訳として、一週間帯同させていただいたきました。写真と共に記録レポートしていきます。


まず今回の合宿地となったのは、ウェンブリースタジアムから3駅北に位置するThe Hive Football Centre。天然芝7面、人工芝2面、クラブハウス兼カフェを備えています。各カテゴリーに所属するチームが、トレーニングの場として利用しております。ウェンブリースタジアムも近いので、代表チームが試合前の調整を行う場合もあるそうで、クラブハウスにはイブラ、カペッロ、アルシャビンなどなど、有名選手の写真が飾られていました。



トップチームからアカデミー、スクールまでが、同じ場所でトレーニングをしているのは、子供が大人のフットボールを見て帰るという環境が自然にうまれていきます。
また、こうしたちょっとしたカフェでも、多くのコミュニケーションが生まれておりました。冬は特に寒いですしね、重要な設備です。ちなみにスタバがはいっておりました。



さっそく、試合のレポート。ビデオをご覧ください。
アウェーの中で、日本の少年たちはどれくらいのプレーができるのでしょうか?





大阪の少年、みんな上手かったですね。イギリス人のコーチも、親御さん達も驚いていました。
それでも両国の違う部分やお互いに足りない部分が、色々と見れましたね。

ひとつ例をあげますと、
イギリス人が指摘していたのは、エンカレッジメント(鼓舞)が少なくて日本のプレーヤーは、静かだということ。チャレンジして失敗してしまったプレーに対して、皆が大きな声でアンラッキー(不運だった=君は悪くなかった)と口にする。小さなことですが、これが次のプレーに繋がっていくんです、チームスポーツとして大事な習慣でしょう。

また試合後は、みんなで握手を交わして『WELL PLAYED, WELL DONE(いいプレーだった、いい試合だった)』とお互いの健闘を称えあいます。これは、どのレベルでも実践している行為で見習うべき点ですね。


トッテナムU-14とのゲーム。両チーム、後半は少し荒れましたが、非常に熱いゲームでした。
トッテナムの必殺技、ロングスロー2本にやられて、0-2での敗戦でした。試合前にピッチの幅を小さくしようと、向こう側から申し出があったんです。


地元チームのWhetstoneやBoreham wood FCとの対戦。



その中でも特出していたのは、トップチームもhive parkでトレーニングを行っているBarnet FCでした。クリエイティブフットボールに重点を置き、どんなに厳しいプレスがきてもスタイル(哲学)を崩さないよという姿勢を選手とコーチ陣が感じ取ることできました。激しいプレスの中で、どれだけ自分がやりたいことができるかを選手たちは問われたと思います。印象に残ったのは、相手チームの⑩番の選手。一番小くて、一番上手くて、一番ファイトする選手でした。





3日目は、練習場からもそのアーチが見ることができる聖地ウェンブリーのスタジアムツアーにいってきました。



今回、スタジアムツアーを務めてくれたお二人。HELLO Wembley と叫んでスタジアムにこだまする音で俺を楽しませてくれ、ウェンブリーはトイレの数が世界最高だ、アーセナルはぜんぜん駄目駄目。などとみんなを楽しませてくれました。






更衣室、記者会見場、ビップルーム、ピッチ脇などなど世界最高峰のスタジアムを肌で体感です。



地元チームのトレーニングにも2回参加。一枚目の写真は練習前、二枚目は、練習後です。彼は、ネイマールというあだ名をゲットして、すぐに溶け込むことができていました。遠い地にいって、受け入れてもらうことができるかは、自分がその場所で力を最大限に発揮できるかに大きくかかわってきます。これはフットボールに限らず、若い時期に成長すべき一つの能力だと思います。



すぐ横に位置するピッチで、トップチームが練習を行っており、次の日がゲームにも関わらず、スタッフのjohnと広報のadamのおかげで、ポスターとマッチデープログラムにサインをもらってきました。キャプテンとの記念の一枚。今度、僕は実際にスタジアムまで試合を見に行く予定なので、またアップしますね。





ビッグベン、ウェストミニスター寺院、トラファルガー広場を通って、ピカデリーサーカス前のスポーツショップとおみやげ屋で買い物を楽しみました。その後は、ミルウォール-サウサンプトンのゲーム観戦でした。李選手が出場せずにがっかりでしたが、ハーフタイム中にピッチに特別にいれてもらいグラウンドを一周しました。(良い写真がなくて残念!)






今回、遠征のサポートをしてくれたイタリア人スタッフ。
左:GIACOMO、中:SIMONE、右:GABRIERE。




そして、ホテルでのお別れの際、日本代表スタッフのジャンパオロ氏が李と宮市の視察を兼ねてロンドンに来ていたので選手に一言残していってくれました。
『この経験が次にぜひとも活かしてほしい、それから召集する場合には携帯の番号が必要になるから渡しておいてほしい。』

みんなで、ホテルの従業員の方々に挨拶しにいったのは、素晴らしい日本人らしさでした。女性スタッフも、こんなことは初めてよ。行儀がよいのね。と最高の笑顔でした。

僕も君たちの年代で、初めて外国に行かせてもらえました。
そのときのドキドキ感は、今でも忘れることができないし、それからは、もう一度いってみたいなといつも思っていました。日本に帰ったら、ぜひともこの経験を大切にしてください。そして、家族や友人などにたくさん話してみてください!

それでは!




2011年11月2日水曜日

29番

ロンドンの29番のバスは、連結タイプの長いバスだ。
後ろの車両のドアから入って、そこから降りれば運賃を払わなくてもいい状況が生まれるので、後ろの席は無賃乗車していそうな人たちが溜まり雰囲気はよくない。

あやしいという気配は、一瞬に肌で感じとることができる。日常生活で変な事に巻き込まれないためには、感覚的なセンサーに敏感であり、危機を早めに察知して、自分の立ち居値を確認して、なるべく早くその現場から距離をとっておくことが大事だ。ちなみに日本にいるとき、僕はこの戦闘能力がかなり落ちてしまう、でも海外の空港に戻ってくるとキリっと身が引き締まる。

さてそれでも混み合っている時間帯に29番を利用して後部に座って、家に帰る時もあるわけだ。そして、昨日も変なおじさんに出会った。
『サムソング携帯の時計のあわせ方が分からないので、これをちょっと直してくれないか。ニーハオか?んー。コンニチワでいいんかね?』
あやしいなぁと思いながらも、携帯を手渡してくるのでささっと調整してあげた。

結果から話すと、なぜだか分からないが、この人とあれよあれよと色んなことを喋った。
エジプト出身の白髪で黒人のおじさんはヨーロッパ各地を路上アーティストとしてふらふらと回ってきた。お父さんがガンビアで殺されてしまって、それ以来掃除屋さんとアーティストを交互にやっている。日本人は、リッチだから俺の作品買ってくれるだろ?だから東京にいくよ。友達が毎週電話で呼んでくるんだ。ベルギーは、ええぞ。アントワープはいいぞ。あそこは、ええ。今からな、(ロンドンの)北に住んでる女のところへ行くんだわ。出した本があってBBCにもインタビューされてさ、でもな印税は、全部チャリティーだ。

実に楽しい30分間だった。このおっさんは、どこから本当でどこから嘘なんだと疑い始めたけれど、それはそれでいいやと吹っ切れながら、僕も自分が考えていることをたくさん喋った。

さてさて、今日なにが言いたいかと言えば、
肌感覚の危険察知能力も大事だが、戦闘能力を高まった状態であれば、どんな場所においてもコミュニケーションをとってみる勇気も必要じゃないかな、自分。オープンマインドを保ちながら、危険な橋に近づいてもいいんじゃないだろうか、自分。ということでした。


※29番も数週間後には、下の写真のようなダブルデッカーに変更するようだ。
理由は、また調べておきます。


2011年9月12日月曜日

生き長らえて小さく生きるよりも、たとえ短くとも大きく生きたい。


【過去日記:再掲】今日は、一年ぶりに西川さんと清水で会っってメヒコ時代の感覚がよみがえった。
前のブログからこちらに移しておくために、当時の日記をちょっと修正して再掲載しておきたい。
2006/12/19(火) 午前 6:21




10月の終わりから、こちらでお世話になっているNさんの家で一冊の本と出会った。 
今日は、その本のことについて書こうと思う。 名もなき一人の静岡出身の青年が自転車で世界一周を目指していたが、1992年12月18日メキシコのエンセナーダという街で不慮の事故に合いこの世を去った。その当時(85年~92年まで)現地で彼が書いた日記や手紙を、何年後に彼の母親によってまとめられた本は、偶然か必然か分からないけれど歯車みたいなものがガシャガシャっと何度が噛み合って僕の前に現れた。 

静岡にずっといたら多分、この本とは出会わなかっただろう。 エンセナーダに来なければ、彼のことをきっと知らないままだっただろう。 その思った瞬間からページをめくりだし、 スペイン語の勉強も忘れ、読みふけった。 

大学時代から28歳までの旅の記録。 
彼の世界中の人々との出会いや出来事は、妙にリアルに感じられた。 残りのページ数が少なくなるということは、徐々に僕の今住んでいる町に近づいてくるということだ。 
同時に彼の死へのカウントが0に接近している。 そういう緊張感から生まれるリアルさだったか分からないけれど、どこかのBARでコーヒーでも飲みながら僕の目の前で彼がその旅について語っている、そういう不思議なリアルさがあった。 正直に言うと、その地で起こった出来事や感じたことを自分のためにずらずらと書きなぐった日記(本来、日記は自分のためにあるものだから)に彼の母が少し手を加えたものは、文学的には皆が満足するようなレベルにはないと思う。 
けれど、彼の人生に対する『志』というか彼の生きる『情熱』みたいなものは、読者にひしひしと伝わるものがあった。(少なくとも僕はそれを強く感じた。) 

最後のページの方に、 
『出発前に記した旅の計画書』のところにこんな文がある。 

意義  
【20代という人生最高の時代を、自分の能力と可能性の限りをつくして、生きたいと思った。 】

目指す道も通る道も違えども、休憩地点みたいな所で出会えたらこんなに、いかした事をいう奴を、見逃さなかっただろう。 この言葉は、僕の残りの20代の中に呪文のように刻まれる。 またこちらでお世話になっている西川幸雄さんのお兄さんの西川昭策さんが、亡き著者に寄せられた言葉が、印象に残っている。 

永遠に生き続ける生命はない。 
生き長らえて小さく生きるよりも、たとえ短くとも大きく生きたい。 


彼によってもたらされた、万人にプラスの力を与えてくれる言葉だった。 

今日は彼の命日。冥福を祈る。 



生命もゆ 
28歳 世界自転車旅行の記録 

著者 滝口豪人 
編集 滝口美代子 

最後に。 
母親が亡き息子に綴る思いは、とてつもなく切ない。 
無条件にわが子を愛する力は、偉大だ










2011年9月11日日曜日

発明じゃなくて発見よ。



本日は、下記のお話を伺った。

トークシリーズ「現場のいま 社会のいま」
鷲田清一(哲学者)
「哲学にとっての現場」

日時:2011年9月11日(日)15:00~(開場 14:30)
会場:万年橋パークビル8F 多目的スペース「hachikai」、
聴講人数:150人くらい(40代〜50代と学生が多かったように見えた)


鷲田さんは、関西弁トーンを丁寧語に修正した口調で語り始めた。
先月、大阪大学の学長を退かれたので、口にしめつけていた鎖が少しほどけ、大学やその他の会議とは異なる開放的な場所(事実、会場は駐車場である)で話ができることは自分にとって喜びであると挨拶。先週の音楽グループのタイガースのコンサート話や(天気の話のようなもの)をしてから、薄くなった髪の毛ネタで会場の少し笑いを取ることで、場を和らげて本題にはいっていった。その場に引く込まれていくライブ感は、まさに落語の枕のようであった。


さて本題。1時間半のぶっ通しのトークで一貫して言い続けたことをざっくりとまとめてみると次のようなことになると思う。
『日本における哲学には2種類がある。前者は、専門的な用語を用いた知識としての哲学。後者は、職人たちが現場で培っていくそれである。鷲田さんは、両者の必要性を見出しているが、どちらを信じているか、どちらに本質を見出しているかと言えば後者である。生活のなかから、その場で用いられている言語を使いながら、哲学へと翻訳することもしくは媒介していくことが彼が目指しているフィロソフィ=活動である。現場におもむいて、当事者と共に答えを出す事でなく、わからないことをわかるように問題提議することが大事である。』


今日の話はこれだけ十分なのか知れない。なので、ここからは惰性で書いてしまうのである。

哲学というものは、東大卒でその中でもめちゃくちゃ切れる者たちが生成していくものであり、僕なんかはそれをちょっと齧ってわかったつもりでいただけなんだと数年前に気づいて以来、哲学書に手をだすことになんだか少し引け目を感じていた。この感覚はヨーロッパで生活していると、同年代の若者と、生き方というか自分たちの人生のあり方みたいなものを話している時に襲ってくる引け目に似ていてる。はたして僕は日本語という母国語で彼らのように話すことはできるのかという不安を感じるわけだ。それと同時に彼らは実年齢以上に大人びているように見えてくるのである。
それには幾つかの理由があるのだと、今日の鷲田さんは簡単ではあるが説明をしてくれた。
一つ目にヨーロッパにおける哲学教育は、十代後半になったら哲学科でない生徒が割と簡単に哲学を選択することができる。特にパリにおいては官僚になる大学院では、だれもが一本の論文を書くそうだ。そこでは幸福についてのフィロソフィを考え、よい社会とはなにかを明確にすることが、行政をするものに求められる。
2つ目に、日本において哲学は固いイメージもしくは睡眠剤として捉えられてしまう理由のひとつに、認識論、存在論、形而上学などに代表されるようにまず哲学の入り口における日本語に引っかってしまうのだ。その都度、言葉自体の意味を調べて考えることにに捕われてしまうのは、要するに、日本語での哲学用語が難解すぎるのだ。これを反対に言えば、ヨーロッパ内の言語で哲学を考えるときに使用される言葉は、日常的に使われている言葉である。例えば、存在はbeing、無はnothing、生成はbecomingである。ヘーゲルの論理学に端初という日本語があり、意味は哲学のはじまりを説明するそうだが、英語ではon the beginingであるそうだ。なんと明解!誰がこんなに難しく翻訳しなければならなかったのかと少し怒りを覚えるが、日本語になかった概念を作り出すのだから苦肉の策の連続であったのだろう。
ヨーロッパでの哲学歴史において、恋愛モンダイから思考をスタート、そして社会、市民とは何かと問うこともよくあったそうで、なんだか僕の思考のはじまりに似ていたので何だか救われた気がした。あはは。

ともかく鷲田さんの活動においてコアとなるコンセプトは、ヨーロッパのように日常的に使われている言語で思考を膨らませていくことであるということはよくわかった。それを彼は、臨床哲学として、研究される哲学とは異なるものを日本のなかに含ませようとしている。問題が存在している場所へ出かけていき、そこで使われている言葉で緻密に考えいく。困難な問題を解決することはせずに、困難な問題をあきらかにしていくことが8割の仕事であるとおっしゃっていた。その中で、例として神戸在住の知り合いの30代の女性を紹介してくれた。彼女は、哲学とはまったくの無縁かつTVショーの話題に一喜一憂しているヤンママを集めて、子育て哲学カフェを8年やり続けているそうだ。その際には、話を誘導せずに、丸裸になって軌道修正をすることが大事であると語っていたが、それがどんなに困難な作業であることか容易に想像できる。


さて最後に、現在の竹山のつたない言葉で鷲田さんの言葉を翻訳するとこうなる。

『専門的な知識やスキルは、たしかに必要だよ。でもね、やっぱり経験というか身体に染み付いたものも捨てがたいのよ。それらの経験(フラ語でメチエ)を、丁寧に日常的な言葉で紡いでいく事ということは、新しい世界観を発明するということではなく、生活のフィロソフィを発見していくということではないだろうか?でもね、それがきつくなったら問題を一度棚上げしてみて、毎日やることをやるべきなんですね。また考えたらええんよ?ほな、おおきに。』





2011年2月23日水曜日

パワーリーグの第一印象

先週、フットボール仲間の紹介で日本人少年チームの見学をしてきた。
少年チームの練習については、ブログに書き込む許可をいただいていなかったので今回はその施設と利用状況について写真と共に簡単に説明させていただく。

まず、パワーリーグと聞き慣れない単語だったが、後日ネットで調べてみると次のような説明があった。


5-a-side(ファイブ・ア・サイド)は、前後半25分ずつで行われる5vs5のゲームです。ピッチの広さはフットサルコートと同じくらい。ゴールの大きさは、高さがフットサルの6割くらい、横幅は、フットサルの1.5倍程度です。周囲には壁があり、ボールが外に出てゲームが切れる、ということはありません。フィジカルコンタクトがOK、胸より高くボールを上げてはいけない、ペナルティエリア(フットサルのゴールエリアと同じくらい の広さ)にフィールドプレーヤーは入ってはいけない、というルールがあり、まさに英国式フットサルです。



http://www.powerleague.co.uk/home.html
またパワーリーグのサイトを調べてみると、ロンドンにおいては郊外を中心に約10店鋪ほど展開しているようだ。サイトには、パーティ場としての貸し出し、ドッグランドを設置、素人同士での選手評価コミュニティなどなど様々なアイディアがすでに実行されているようだ。

子供や孫の練習をパブで過ごしながら待っている人たち。子供に宿題を教える人、本を読んでる人、ママさん同士で噂話をしているなどなど。ここに書いていて思ったけれど、ママさん達(というか女性)は、息子、友人、彼氏、愛人、旦那が狂ったようにはまっているフットボールをどのように捉えているのかという研究は今まで聞いたことないな。
残念ながら、やはり盗難が多いらしい。初めてサッカーをしにきて、自分の荷物が全部なくなっていたら、なかなか忘れることはできないだろう。僕がトイレにいった時も、ユダヤ系の少年がここに置いてあったコートがなくなったとお母さんを引き連れて泣いていた。

『審判への暴言は退場です』。更衣室に貼ってあったけれど、こういったものははたしてどれくらいの効果があるのだろうか?街の交通安全川柳みたいな匂いもする。一番効果があるのは大人が審判へのリスペクトし、暴言をピッチ上とスタンドで子供に見せないことだろう。あんたは理想主義だと罵られることは分かっている。じゃ、他にあるのか?

この日は、CLのアーセナルvsバルセロナ。
国も宗教も違い(もう一つイギリスでは社会的階級が存在するのだがこの時点では分からなかった)、自分のテーブル以外はほとんど知らない人という状況だ。運動後にビールを胃に注ぎながら、一緒に歓喜を共有できる場所があるのは非常に豊かだなと感じた。

頭の上にちょこっと乗っけているのは、ユダヤ教の方々が身につけている帽子はキッパというらしい。プレー中は、ピンで止めているのですか?と尋ねてみたかったが、試合後のセスクのインタビューを真剣に聞いていたので帰宅した。

2011年2月12日土曜日

口説くのが一番上手い奴



この男(仮にYとしよう)と知り合ってからそんなに時は経っていないけれど、僕が25年間見てきた男の中でYは一番女性を口説くのが上手い。

【空気を読む】という言葉は英語圏にはないのだけれど、Yは確実にその場の空気を感じ取りながら女の子を落としている。(ように見える)

Yの親友でTという男がいるのだけれど、これまでに幾度なく気になっている女の子が自分の目の前を素通りしていき、Yの前で立ち止まりハグをし、小さな声で語り合い、電話番号を交換している姿を見てきたそうだ。あまりにもTが哀れなので、周りの友人はコンビを解消したほうがいいんじゃないかと言っている。

さて男性陣はこの男がいったいどうやって口説いているのか気になるところだろうが、僕は実際に横にいて話を逐一聞いているわけではないし、毎回同じような展開をしているわけではないので詳細は分からない。たいへん申し訳ない。

今日は何を書きたかったというと、Yのレスポンス力(表情を含めた)の素晴らしさである。
外人と喋った経験がある人は分かるだろうけれど、自分の発音した言葉が相手に届かないことはいくらでもある。声が小さかったり、音の発し方が悪かったり、意味が曖昧だったりとすると、人はいろんな方法で聞き返すことになる。

送信者から届けられるメッセージの意味が伝わなかったとき、受信者の表情は一瞬変わる。この表情にプラスして、その後の聞き返し方に上の写真の男Yと友人Tに圧倒的な差がある。(んじゃないかと思う)

例えば、日本人とイギリス人の交流パーティの場面で、Yはあるグループと爆笑している間に、Tは発音の授業が始めてしまっているなんてシーンは象徴的だと思った。

Yに対して嫉妬とか軽蔑の気持ちを抱いているわけではない。むしろ、コミュニケーションの場面での身体性に興味が注がれている。相手と気持ちよく楽しく喋るというのは、中身はもちろん大切であるけれど、相手、場所、話の内容を汲み取りながら、それを表情で体現していくことだというのは非常に面白い。


2011年2月11日金曜日

ワンピース 翌日には外国語での字幕付動画がでていること


日本の文化で海外の日常にもっとも浸透しているのは、マンガもしくはアニメであることは誰の目にも明らかである。

ここ数ヶ月、僕はそれらがネット上にアップロードされる圧倒的なスピードに非常に驚かされている。例えば、日曜朝に放送されているワンピースが一日も掛からずに英語やスペイン語などに翻訳されて字幕付きでYOUTUBEに流れ始めている。ニュース並みのスピードを持つコンテンツは、他にあるのだろうか?


先日、友人のイギリス人にその話をしたところ、英語圏ではアニメ翻訳集団が存在しているらしい。彼らは誰かから何かを依頼するわけではなく数人でグループを作り、趣味(無給)でその作業をやり続けているようだ。権利の問題や配信方法については、僕はまったくの無知なのでここでその問題を指摘することはできない。そうかと言って、彼らの活動を好んで応援するつもりもないが。


ここに書きたいのは、翻訳グループが圧倒的なスピードと量を配信(合法であれ違法であれ)しているコンテンツを通して、それらを享受している無数の人々が背後にいるということだ。
そしてここがポイントなのだけれども、視聴者たちはそのアニメやマンガを視聴しはじめの頃は、それを生み出している国にあまり興味がない。実際に友人のイタリア人はワンピースの作者が日本人だと知らなかった。ワンピースを作り出しているのが日本だと知った時に、はじめて視聴者は日本という存在に好感もしくは興味を抱きはじめるのだ。日本が好きだから、ワンピースを見始めるわけではない。

日本と言えば、スシとゲイシャとサムライしか知らないという時代はようやく終わりつつある。これは外国人とコミュニケーションの入り口としては、非常に喜ばしいと思う。マンガ家とアニメ会社が潰れてしまっては困るけれど、権利と戦うことよりも日本の入り口を広げることに議論の時間をさいて欲しい。


NHKさん、まずはこんな日本語サイトを作ってみてはいかがでしょうか?
http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/