2011年9月12日月曜日

生き長らえて小さく生きるよりも、たとえ短くとも大きく生きたい。


【過去日記:再掲】今日は、一年ぶりに西川さんと清水で会っってメヒコ時代の感覚がよみがえった。
前のブログからこちらに移しておくために、当時の日記をちょっと修正して再掲載しておきたい。
2006/12/19(火) 午前 6:21




10月の終わりから、こちらでお世話になっているNさんの家で一冊の本と出会った。 
今日は、その本のことについて書こうと思う。 名もなき一人の静岡出身の青年が自転車で世界一周を目指していたが、1992年12月18日メキシコのエンセナーダという街で不慮の事故に合いこの世を去った。その当時(85年~92年まで)現地で彼が書いた日記や手紙を、何年後に彼の母親によってまとめられた本は、偶然か必然か分からないけれど歯車みたいなものがガシャガシャっと何度が噛み合って僕の前に現れた。 

静岡にずっといたら多分、この本とは出会わなかっただろう。 エンセナーダに来なければ、彼のことをきっと知らないままだっただろう。 その思った瞬間からページをめくりだし、 スペイン語の勉強も忘れ、読みふけった。 

大学時代から28歳までの旅の記録。 
彼の世界中の人々との出会いや出来事は、妙にリアルに感じられた。 残りのページ数が少なくなるということは、徐々に僕の今住んでいる町に近づいてくるということだ。 
同時に彼の死へのカウントが0に接近している。 そういう緊張感から生まれるリアルさだったか分からないけれど、どこかのBARでコーヒーでも飲みながら僕の目の前で彼がその旅について語っている、そういう不思議なリアルさがあった。 正直に言うと、その地で起こった出来事や感じたことを自分のためにずらずらと書きなぐった日記(本来、日記は自分のためにあるものだから)に彼の母が少し手を加えたものは、文学的には皆が満足するようなレベルにはないと思う。 
けれど、彼の人生に対する『志』というか彼の生きる『情熱』みたいなものは、読者にひしひしと伝わるものがあった。(少なくとも僕はそれを強く感じた。) 

最後のページの方に、 
『出発前に記した旅の計画書』のところにこんな文がある。 

意義  
【20代という人生最高の時代を、自分の能力と可能性の限りをつくして、生きたいと思った。 】

目指す道も通る道も違えども、休憩地点みたいな所で出会えたらこんなに、いかした事をいう奴を、見逃さなかっただろう。 この言葉は、僕の残りの20代の中に呪文のように刻まれる。 またこちらでお世話になっている西川幸雄さんのお兄さんの西川昭策さんが、亡き著者に寄せられた言葉が、印象に残っている。 

永遠に生き続ける生命はない。 
生き長らえて小さく生きるよりも、たとえ短くとも大きく生きたい。 


彼によってもたらされた、万人にプラスの力を与えてくれる言葉だった。 

今日は彼の命日。冥福を祈る。 



生命もゆ 
28歳 世界自転車旅行の記録 

著者 滝口豪人 
編集 滝口美代子 

最後に。 
母親が亡き息子に綴る思いは、とてつもなく切ない。 
無条件にわが子を愛する力は、偉大だ










2011年9月11日日曜日

発明じゃなくて発見よ。



本日は、下記のお話を伺った。

トークシリーズ「現場のいま 社会のいま」
鷲田清一(哲学者)
「哲学にとっての現場」

日時:2011年9月11日(日)15:00~(開場 14:30)
会場:万年橋パークビル8F 多目的スペース「hachikai」、
聴講人数:150人くらい(40代〜50代と学生が多かったように見えた)


鷲田さんは、関西弁トーンを丁寧語に修正した口調で語り始めた。
先月、大阪大学の学長を退かれたので、口にしめつけていた鎖が少しほどけ、大学やその他の会議とは異なる開放的な場所(事実、会場は駐車場である)で話ができることは自分にとって喜びであると挨拶。先週の音楽グループのタイガースのコンサート話や(天気の話のようなもの)をしてから、薄くなった髪の毛ネタで会場の少し笑いを取ることで、場を和らげて本題にはいっていった。その場に引く込まれていくライブ感は、まさに落語の枕のようであった。


さて本題。1時間半のぶっ通しのトークで一貫して言い続けたことをざっくりとまとめてみると次のようなことになると思う。
『日本における哲学には2種類がある。前者は、専門的な用語を用いた知識としての哲学。後者は、職人たちが現場で培っていくそれである。鷲田さんは、両者の必要性を見出しているが、どちらを信じているか、どちらに本質を見出しているかと言えば後者である。生活のなかから、その場で用いられている言語を使いながら、哲学へと翻訳することもしくは媒介していくことが彼が目指しているフィロソフィ=活動である。現場におもむいて、当事者と共に答えを出す事でなく、わからないことをわかるように問題提議することが大事である。』


今日の話はこれだけ十分なのか知れない。なので、ここからは惰性で書いてしまうのである。

哲学というものは、東大卒でその中でもめちゃくちゃ切れる者たちが生成していくものであり、僕なんかはそれをちょっと齧ってわかったつもりでいただけなんだと数年前に気づいて以来、哲学書に手をだすことになんだか少し引け目を感じていた。この感覚はヨーロッパで生活していると、同年代の若者と、生き方というか自分たちの人生のあり方みたいなものを話している時に襲ってくる引け目に似ていてる。はたして僕は日本語という母国語で彼らのように話すことはできるのかという不安を感じるわけだ。それと同時に彼らは実年齢以上に大人びているように見えてくるのである。
それには幾つかの理由があるのだと、今日の鷲田さんは簡単ではあるが説明をしてくれた。
一つ目にヨーロッパにおける哲学教育は、十代後半になったら哲学科でない生徒が割と簡単に哲学を選択することができる。特にパリにおいては官僚になる大学院では、だれもが一本の論文を書くそうだ。そこでは幸福についてのフィロソフィを考え、よい社会とはなにかを明確にすることが、行政をするものに求められる。
2つ目に、日本において哲学は固いイメージもしくは睡眠剤として捉えられてしまう理由のひとつに、認識論、存在論、形而上学などに代表されるようにまず哲学の入り口における日本語に引っかってしまうのだ。その都度、言葉自体の意味を調べて考えることにに捕われてしまうのは、要するに、日本語での哲学用語が難解すぎるのだ。これを反対に言えば、ヨーロッパ内の言語で哲学を考えるときに使用される言葉は、日常的に使われている言葉である。例えば、存在はbeing、無はnothing、生成はbecomingである。ヘーゲルの論理学に端初という日本語があり、意味は哲学のはじまりを説明するそうだが、英語ではon the beginingであるそうだ。なんと明解!誰がこんなに難しく翻訳しなければならなかったのかと少し怒りを覚えるが、日本語になかった概念を作り出すのだから苦肉の策の連続であったのだろう。
ヨーロッパでの哲学歴史において、恋愛モンダイから思考をスタート、そして社会、市民とは何かと問うこともよくあったそうで、なんだか僕の思考のはじまりに似ていたので何だか救われた気がした。あはは。

ともかく鷲田さんの活動においてコアとなるコンセプトは、ヨーロッパのように日常的に使われている言語で思考を膨らませていくことであるということはよくわかった。それを彼は、臨床哲学として、研究される哲学とは異なるものを日本のなかに含ませようとしている。問題が存在している場所へ出かけていき、そこで使われている言葉で緻密に考えいく。困難な問題を解決することはせずに、困難な問題をあきらかにしていくことが8割の仕事であるとおっしゃっていた。その中で、例として神戸在住の知り合いの30代の女性を紹介してくれた。彼女は、哲学とはまったくの無縁かつTVショーの話題に一喜一憂しているヤンママを集めて、子育て哲学カフェを8年やり続けているそうだ。その際には、話を誘導せずに、丸裸になって軌道修正をすることが大事であると語っていたが、それがどんなに困難な作業であることか容易に想像できる。


さて最後に、現在の竹山のつたない言葉で鷲田さんの言葉を翻訳するとこうなる。

『専門的な知識やスキルは、たしかに必要だよ。でもね、やっぱり経験というか身体に染み付いたものも捨てがたいのよ。それらの経験(フラ語でメチエ)を、丁寧に日常的な言葉で紡いでいく事ということは、新しい世界観を発明するということではなく、生活のフィロソフィを発見していくということではないだろうか?でもね、それがきつくなったら問題を一度棚上げしてみて、毎日やることをやるべきなんですね。また考えたらええんよ?ほな、おおきに。』