2010年11月29日月曜日

こたつ

寒い。最高気温が、+になるかならない日が続きそうだ。

生活のリズムが違うのでめったに顔を見ることがない同居人のT君は来週からブリックレーンという音楽とおしゃれとバングラディッシュとカレーとが入り交じった通りで日本食の屋台のバイトをするらしい。

『おおー。なんだかめちゃくちゃ楽しそうだね?いくいく。食べにいく。』といつものニヤニヤした竹山で話しかけると、
『いやー、寒いのが心配で。』とT君。
と、こちらまで心配になってしまうような顔をしている。

たしかに寒い。
家にこたつかがあって、みかんでも喰いながらノホホンと過ごせたらいいなと思う。
だけどないのだ。ないものはない。

好きでハワイに行って、暑いのが心配で。って言っても何も始まらない!と言えばよかったのかかな?
なんか違うな。

2010年11月28日日曜日

3分

友達が住んでいる学生寮に泊まって、家に帰ったらネットが繋がらずシャワーの排水溝が詰まっていた。
同居人は何だか怒っていたけれど、妥協することと怒っても気分が悪くなるだけなのでこの後どうするかを考えることを勧めた。

ネットは数時間回線をいじっていたら治った。排水溝については、週末に動き出しても仕方がないから大家に明日電話しよう。

昨日更新しようと思っていたのは、茂木さんがツイッターでつぶいやいたTEDについてである。大学のAcademic Englishのクラスでもリスニング教材としても紹介されていたので、数人のプレゼンテーションのビデオをこれまで見てきた。その中でも再生回数が多いビデオは本当に面白い。

世界へ拡散に値する(だろう)知識を短い時間で伝える技術をどうにかして盗みたいと思う。それはあそこの舞台に立ちたいと言っているわけでなく、メッセージの伝達方法を習得したいという意味だ。

この3分弱で、彼は2つの事を伝えきっている。



2010年11月26日金曜日

100日後

もっとブログの方向性を定めなければいけないと思う。というのも少しずつではあるが、つれづれ日記になってしまっているような気がする。

2週間分のタイトルを眺めればすぐに分かるのだけれど、見切り発車だったので内容も文体もすべてがぶれている。

始めは仕方がない、しょうがない、ひたすら書こうじゃないか。とこの感じがすでに徒然である。

とりあえず100日を目標に定める。
100日経過後に、4つ目のルール設定をしてみよう。

ルール4:(来年2月あたりかな)
誰に向けて、何語で、どのようなメッセージ性を含んでいくのか?

それまでは、自分の好奇心が動くがままにひたすらに朝起きた瞬間に書き始めよう。どこかの時点で量が溜まり、ブレークスルーしてくれるだろう。

2010年11月25日木曜日

ちょっとだけ、はみ出た作業

銀行の口座開設をしてから、1ヶ月以上が経つがいまだATMを使える状況にない。

困ったもんだ。郵便番号の桁の記入をひとつ間違えただけで、こんなに手続きが複雑になるとは思ってもいなかったし、毎週銀行にいって列を作って横入りしてくるおばちゃんと戦うとは想像していなかった。

日本のシステムと他の国のそれを比べることは、違いが浮き出てくるという意味で面白いが、比べて文句を言い出してはならない。ただこちら側が妥協するしかないと、イタリアで学んだ。

だから【あっちはあっち、こっちはこっちで成り立っているんだ】と言い聞かせるしかない。

日本の中で便利でありかつスピーディに行われているのは、そのシステムが優れているからではない。
それは今自分に任されている仕事じゃないのだけれど、それやらなかったら誰か困ってしまうでしょ?という人々が割とたくさんいて、ちょっとだけはみ出た作業の連続によって成り立っている。とどこかで内田樹さんが言っていた。その通りだ。

ちょっとだけはみ出す国民が増えていく過程は、非常に気になる。
日本の歴史において、どういった環境がそのような選択をさせてきたのだろうか?

ちょっとだけはみ出た作業は見えにくい。非常に細かい部分だが、その連続した作業によって社会全体の便利さに繋がっていると考えると、どうして日本は他の国よりもそうなったのか?ますます気になってくる。



2010年11月24日水曜日

Smirting

先週の土曜日、イギリス人の友達が韓国に英語教師として旅立つので【がんばっていってらっしゃいメキシカンパーティ】が行われた。普通にメキシカンが食べたかっただけだ。

去年から仲良くしているメンバー(6人くらい)たちは、外国語学部を卒業していて日本留学経験があったりするので非常に話がはずむ。

毎回単語を交換しているのだが、
先々週の新しい日本語は【リア充】だった。

その言葉が生まれてきたのかを日本にいったことがあるイギリス人に説明するのは簡単だけれども、普通の人に説明するのには話が長くなる。

ちなみに英語の新単語は、Smirting。
smirting is the practice of smoking and flirting outside public places such as pubs, bars, cafés, restaurants, and office buildings where smoking isprohibited

どうやら法律によって、店の中で喫煙ができなくなってから広がった単語らしい、店の外でライター貸してくれませんか?というところ始まる男性が使うナンパ用語だと言っていた。

2010年11月23日火曜日

ある男の振る舞い

先日、CLのマドリー対ミランを観戦するために近所にあるPIZZA屋にでかけた。

薪で焼いているから生地がパリっとしておいしい。
あまり上品な地域でもないし、おしゃれした人が歩いている通りではないけれど、いつも店内は大きな声であふれている。

今日は、この店の看板男について書きたい。

この男、店のドアの前で入ってくるお客さんと帰っていくお客さんに声を掛けていくチーフらしき存在なのだが、すべての動きが絶妙なのだ。

タイミング、テンション、笑い、つっこみ、一言、抱擁、よく来てくれました、また近いうちに!チャオ!抱擁。

ノリは完全にイタリア人なのだけれど、彼のその接客技術(パッションかな)ばかりが気になってしまって、試合に集中できなかった。はは。

もう一回訪れた時に、どういう視野で動き回っているか観察してみたい。

というか、もう一回いってみたいと思わせている時点で、お店のファンを一人獲得しているんだな。

2010年11月22日月曜日

フォト日記:チャールトン

先週の土曜日にチャールトンのスタジアムにいってきた。

僕は、どちかと言えばフットワークが軽い。
それに付け加えて、急な思いつきな場合が多い。

もちろんそれによる失敗もあるけれど、ネガティブよりもプラスに働くことのほうが多かった気がする。ともかく金曜夜にネットでチェックして、土曜の朝に用事を済ませて家を出た。

さてさて久しぶりに撮った写真と共に、時間を追いながら紹介していこう。



スタジアムの場所と行き方は、あまり調べる必要はない。
とりあえず試合開始時間の1〜2時間前くらいに最寄り駅に行けば、あとは人の波についていけばいい。








この国ならば、どこにでもありそうな風景の中を、ただひたすら歩く。スタジアムに向かっているのは、ブリティッシュっぽい人が目立つ。というか、アジア人の自分が浮いていた。

スタジアムでは、2人くらいしかアジア系は見かけなかった。







トンネルを潜ったら、向こうは非日常。というか日常と繋がっている。










オフィシャルプログラムが£3(400円程度)くらいなのだが、よく売れていた。








ちなみにチャールトンは、ここ最近はスキー滑降のごとく、勝てゴリーを下げているようで3部リーグを戦っている。










ゴール裏の入り口。異様に狭いのには、きっと理由があるだろう。本でちゃんとプレミアリーグの成り立ちについて、勉強しなければならない。











スタジアムに併設されているパブ。試合前に一杯というより、ガブガブやっている。この日は、12時45分よりアーセナル-スパーズのゲームがあったのでみんな試合直前までそちらに釘付けであった。ベンゲルが画面に移ると、ウェーと挑発していた。






ちなみにビールを飲む時に、おつまみはない。ひたすら、アルコールを流し込んでいく。ラウンドというものがあって、5人来たら1人目を名乗り出た者が5杯分をテーブルに運んでくる。というわけでそのラウンドを数十年繰り返したパブのおじさん達はみんな同じような体型になっている。








肝心の試合内容と言えば、決して技術的にも戦術的にもレベルの高いものではなかった。








けれど、何かが伝わってくるゲームだった。テレビ画面では絶対につまらないが、スタンドでは楽しめるものがあるんだと再認識できてよかった。バチバチと体がぶつかりあう音と、それに呼応するファンの拍手。

あるピアニストの実力は、技術的には物足りないけれどその場では聞かせてしまう。そんなものがあるとしたら、その場にいれた人は幸せだと思う。

そういった場所で繋がって進化していくものを残していければいいんだ。
と一つ覚悟がついた。

2010年11月20日土曜日

マイノリティとマジョリティ

昨日寝る前に、ネットで佐野元春のザ・ソングライターズのサカナクション山口一郎の回を見ていると、こんなことを言っていた。

『マイノリティな音楽がなぜ多くの人に届かないのかという理由をすごく考えていた時があった。きっと、それはメディアの表面に流れないからだと思った。じゃあどうしたらそのマイノリティの音楽が多くの人に届くんだろうと考えた時に、大衆に届くエッセンスを持ったままマイノリティなものを出す、そうすることで、もっと日本の音楽シーンが面白くなるんじゃないかと思ったし、僕が音楽を作るうえで、それに向けてのモチベーションが最近はすごく働いている。』

まだ世間にはその存在はあまり知られていないが、個人もしくはあなたとその周りの人々がこれまでに獲得してきた好きなもの、行動、作品、情報は無数にある。

それはどれだけ多くの人に認められたかを基準にするわけではなく、目の前にあるだけでただ単に素晴らしいし、誰かに分かってもらう必要はないかもしれないかもしれない。放っておいても、枯れることなく普遍的にそれは残っていくことだってあるわけだ。

しかしながら、『分かりやすくて、とっつきやすくて、問題や悲しみはすぐに泡として消えてしまう無害なものたちで需要と供給が成り立っている社会』では、いいものがいいものとして、他の人に伝わるかどうかは別の話である。

僕は、音楽に限った話をしているわけではない。
身の回りにある生活でも、趣味でもなんでもいいわけだ。

•伝えるべきか、伝えないべきか?あなたが好きなものを広めるか広めないか?
•伝えるならば、どのような方法があるのか?それは情熱だけでしかないなのか?

話は続く。



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数年前に書いたものを再編していく、コピペシリーズ。

『細部に神が宿っているかどうか』

先日、上野の井上雄彦のマンガ展に行ってから、
彼の絵を頭の中でイメージを反芻してみて 出てきた質問だ。

絵が上手いとか、サッカーが上手いとか、歌が上手いとか、
世の中には色んな上手いが溢れている。

でも、その『上手さ』だけでは
人は集まらないし、人は魅かれない。

普遍的なその「作品」と
時と共に消えていってしまう「作品」とを分けるのは
『細部に神が宿っているかどうか?』じゃないかと思う。

僕は、
絵に関しても、
音楽に関しても、
建築に関しても、

特別に詳しいモノなんてほとんどない。

ただ(ここが重要なんだけれど)
直接自らの眼でそれを真剣に見つめることで(僕はライブ感という)
何か感じられるモノがあるんじゃないか。と最近ふと思った。

その一つの視点が、宿っているかどうか。

東京は歩いても電車に乗っても、
ドライブしても決して面白い街ではないけれど、
ライブ感を得やすい街だ。

コンサートも、
映画も、
スポーツも、
美術館も、
自ら時間を作り出して行かなくちゃならない。

僕が彼らの作品を言葉にしてしまう時点で、
そこから抜け落ちてしまうものが、
『細部に宿っている神みたいなものなんだよ』と言われてしまうと
それまでなんだけれど、何か書き殴ってみたかった。

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※ここでいう神とは、圧倒的に何かを超えてきた技術(自分の理解)を目の前に提示されると、それはある種の世界を作り出しているのではないか?という有り様を神と言っていたのだと思う。ムズカシイ。

2010年11月19日金曜日

チャールトン

大学の授業の中で『This is my london』というお題のプレゼンがある。
昨日は仮決定したものを担当の先生に報告する日であった。アーセナルのスタジアムの真横に教室もあるし、旧スタジアムのハイベリーがどのように利用されているかも気になるのでスタジアム運営とその周りのコミュニティの現状をやりたいと伝えた。

『よろしい』の一言。で終わればよかったのだが、サウジアラジア人のTurkey君(みんなにはトルコ人だと思われている)から横やりが入る。
『ちょっと待った。僕もアーセナルやりたいんですけれど。』先生は同じ内容は2つ聞きたくないらしく、Turkey君もどうしてもアーセナルが譲れないらしい。

『トモ、チャールトンはどうだろうか?アーセナルやチェルシーよりもおそらくロンドンらしさが残っているだろうし、面白いだろう。チャールトンにしなさい。あそこは、まだ強力なコミュニティが残っているはずだから一度観に行ってきたらいい。OK?』

というわけで、チャールトンへ突撃取材いってきます。
ウィキペディアを少し覗いてみたけれど、ファンが政党作ってしまっているじゃないか。



Wikiより参照

ザ・ヴァレイ・スタジアムはチャールトン・アスレティックの為に建設されたスタジアムであり、長い間ロンドンで最大のスタジアムでもあった。その歴史は1919年に遡る。当時、安定したホームグラウンドを獲得することが出来ずにあちこちのスタジアムを点々と渡り歩いていたチャールトンは、チャールトン・ヴィレッジの中心部にあった廃坑にスタジアムを建設することを目論んだ。しかし、クラブはスタジアム建設費用を捻出することが出来なかった。

そこで立ち上がったのがクラブのサポーターたちである。彼らはボランティアで廃坑を埋め、あるいは掘り起こしてグラウンドの形に整形し、余った土砂を周囲に積み上げてスタンドとした。「ザ・ヴァレイ」の名前の由来は、スタジアムが建設される以前の廃坑が峡谷(valley)のように見えたからである。

1984年、クラブが破産した時には、サポーターたちの設立した投資組合がクラブを買収。しかしながらこの組合は「ザ・ヴァレイ」の権利までを買収することが出来なかった。クラブが「ザ・ヴァレイ」の権利を取り戻したのは1988年であった。

とはいえ、チャールトン・アスレティックが「ザ・ヴァレイ」に戻るには、なお難問が積み残されていた。「ザ・ヴァレイ」のスタンドは老朽化が著しく、取り壊した上での新規スタンド建設が必要だったのである。クラブはスタンド再建の建築許可を地元自治体であるグリニッジバラに願い出る。ところがグリニッジバラ議会は、「ザ・ヴァレイ」のスタンド再建に反対した。

そこで彼らは「ザ・ヴァレイ党」なる政党を結成し、1990年に行われたグリニッジバラ議会の議員選挙に出馬した。「ザ・ヴァレイ党」のスローガンは「Give us back our home!(俺たちに家を返してくれ!)」であった。彼らは60議席のうち58議席に候補者を立てて戦い、「ザ・ヴァレイ党」は15,000票(10.9%の得票率)を集め、議会に一定数の議員を送り込むことに成功した。

「ザ・ヴァレイ」のスタンド再建の可否は1991年に再審議され、4月には許可が下りた。そして1992年12月5日、チャールトン・アスレティックは「ザ・ヴァレイ」を再びホームスタジアムとして使用出来るようになった。もちろん「ザ・ヴァレイ」の再整備にチャールトンのサポーターたちがボランティアとして結集したことは言うまでもない。

2010年11月18日木曜日

ルールその3

人間というのは他者の模倣を通じて固有性を形成し、他人の思考や感情を模倣することによって人間的な厚みを増してゆくものである。月本洋さんによると、「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」。
その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。
言い換えるならば、他者との身体的な「同期」が「理解」ということの本質なのである。
引用元 http://blog.tatsuru.com/

書き始める前に他の人のブログを読んでしまうと、通常以上にスピードが落ちる。

『自分が書かなくたって、すでにそこに書いてくれるじゃないか。しかも、すでに圧倒的(勝手に自分と比べているのだろう)に面白い。』

オリジナリティとか自分らしさとかいうものは、どこかに置き去ってきたものだと思ってたのだが、いざ書き始めるとそういった欲(周りからよく見られたいとか、アイディーアを披露したいとか)みたいなものが湧き出てくるのであろう。やっぱり何か違う。

ということで、もう一つルールを作る。制限。

3)このブログに自分らしさとか、オリジナルな意見を披露することは求めない。外の世界から得られる情報と知識を、整理して編集していくこと。

『個性というものを尊重することが、大事なことはないんです。共通分母に辿りつくことが大 事なんです』これまた宮崎駿さんのインタビューから拝借、僕はいつだって借り物だ。

2010年11月17日水曜日

仮インタビュー:ボヌン(韓国)




AとBがあって、その領域の橋渡し役をすること。






日常的にできる行為として、インタビューコーナーを始めようと思う。
インタビューといっても、僕はまったくの素人である。長時間の編集も無理だろうし、社会に訴えるような作品はおそらくできないだろう。

どういった展開になるかは分からないけれど、とりあえずいまいる自分の周りの人にしゃべってもらおう。ステレオタイプにならずに、各国独特の英語を発信する。

動画ではないけれど写真右のボヌン(韓国)は、ロンドンのとある日本食で働いている。
先週こんなことを言っていた。

『色々な日本のレストランがここにはあるけれど、僕の店はすべてがフェークだ。日本とはもう何も関係ないんじゃないかな。生活のために働いているけれど、モチベーションがもたない。というか笑い話にさえ聞こえてくることがある。裏で冷凍食品をチンした料理を、イギリス人がこんなおいしいものは食べたことない。と詰め寄ってくるんだ、そして料理人と会いたいって。疲れるね。』

こういった話をどこへ橋渡しするのか分からないけれど、とりあえず1コーナーとしてやってみよう。

2010年11月16日火曜日

引退日

3日坊主ならば、今日が引退日である。

『一日ずつ、コツコツやっていきたいです』

新聞やTVの取材で、プロスポーツ選手はインタビューではみんな口を揃えて『先のことはあまり考えずに、一試合ずつ戦っていきたい』と語る。ようするに、定型句みたいになっている。

毎日、イタリア語のサッカー記事を訳していて分かってきたことだけれども、どの国の選手もインタビューで語っている内容にはあまり大差はない。

違うのは結果だけである。

試合前も試合後も、言っていることにはあまり差はなくても違うのは結果の積み重ねである。

2010年11月15日月曜日

世界は小さくなっている。

イタリア時代の友人からライアンエアーに乗ってやってこい、’’我々の準備はできている’’とFacebook を通じて連絡が来た。

Facebook、ライアンエアー、スカイプ、世界はどんどん小さくなっている。

愉快な奴らに会えればそれでいいじゃないかと思うと同時に、ここ数週間Globalisationの授業を受けているので世界の不均衡さをどのように捉え直して、小さなアクションを起こすことができるのか?なんて考え始めている。
いま、エッセイの途中だ。早く書き上げてからだ。



ライアンエアーのサイトを覗いても、12月初めの週末ののチケットがなくて心配だがどうにかなるだろう。

3年ほど前に愉快な奴らのリーダー格であるウリッセについて書いたものをコピペしておこう。



件名:緊急。

オレ、結婚することになったんだ。
だから、その事についてTOMOに話しておきたいことがあるからこのメールを読んだらすぐに、携帯の番号を書いたメールを返信してくれないかな?
よろしく頼むよ。

ウリッセより

そんなメールが、東京生活をスタートして1週間後に届いた。

メールを返信した夜、
葛西臨海公園に住んでいた僕と同居人は、ベーコンとブロッコリーのパスタをどうやったらより美味く作れるか(その日のパスタはどうも味が薄かった)を語っていた。そしたら、そこへ電話がかかってきたわけだ。

『モシィーモシィ?』(あきらかに外人のもしもしだ)
僕:『もしもしどちらさんですか?』
『CIAO オェ ソン ウリッセ(おい、ウリッセだい)』

久しぶり、元気?東京どうよ?
みたいな前置きが終わると、彼独特の早い口調で語りだした。

ウ:『あのさ、日本語始めようと思うんだけどさTOMO日本語教えてくれるかな?明日とか何してる?』

僕:『明日?大丈夫だよ。まだ仕事始まってないから。スカイプとかメッセンジャーでやろう。でウリッセ、今ペルージャにいるの?いやちょっと待て!結婚すんの?マンマミーア。メール読んだよ。誰と?』

ウ:『あぁ、結婚は嘘ね。そのくらいの事、書かないと返信してこないだろ?第一、俺と結婚できるような破天荒な女性はまだ見つかってない。。。。詳しいことは、明日話すよ。日本語はじめたいし。』

僕:『なんで嘘?まぁいいや。明日の何時くらいがいい?イタリアと日本の時差は8時間ね。』

ウ:『昼頃がいいかな。ちょっと疲れてるし。』

僕:『じゃ、イタリアが昼だと日本は夜だな。』

ウ:『いや違う、日本の昼だ』

僕:『ん?』

ウ:『今、浅草にいる。どう驚いた?』


ウリッセを少し説明する。

高校を卒業してばかりの僕は、異国の地で文字通り、右も左も言葉も分からない少年だった。そして、大学のサッカーチームで『彼ら』と出会った。
『彼ら』が、なぜ僕を受け入れてくれたかどうかは分からないが、そのグループに僕はいつもお邪魔していた。

学校が終わると、ある家に集まって飯を食って、安いビールとワインと濃いーアルコールを、タッタっと胃に流してから、街の中心街までの坂を上って階段の上で朝まで語り通した。外で飲むとはこんなに気持ちがいいものかって、肌で体感していた頃。

ウリッセは、そのメンバーの中の1人だ。

ジャイアンみたいな風貌で、竹を割ったような性格かつ楽天野郎。
頭で考える前に、体が先に動いてしまうタイプのようで、ボロボロのPANDAでスペインとポルトガルを一周し、ベネズエラに働きに行ってみたりしている。(追記:日本の後は1年くらいオーストラリアにいた。そういえば、バイトする?と誘われたのは北欧でのラズベリー狩りかなんかだった)

それから、誰かの誕生日パーティが終わった朝4時にいい天然温泉を見つけてから行こうといって連れてかれた。ガタガタ揺れるパンダから見えた、トスカーナの丘の朝日の美しさは今でも忘れていない。

イタリアという国のシステムの在りかたに嫌気がさしていることが、飛び出している主な動機らしいが、今回の旅はタイ、カンボジア、日本を巡り、次はオーストラリアへと向かうらしい。
どうやったら楽しめるかを試しながら、追っている。(賢明なやり方かどうかは別にして)

もう1つ、付け加えなければならない。
『彼ら』は、サプライズが好きだ。

20歳の誕生日に彼らの電話で呼ばれた家まで行くと、結婚式みたいなどでかいサッカーボールの形をしたケーキが用意されていた。うるっときた。

帰国直前には、これまたどでかい段ボールを家まで持ってきて、それはロシアのマトリョーシカ人形みたいな仕組みになっていた、開ける度に缶ビールが1本入って飲み干すことで次の箱に進めた。

そして、ガムテープの封を開くごとにメッセージが差し込まれていた。
『きっと、酒好きのお前のお父さんはイタリアで酒を学んだと言って喜ぶでしょう。そしてお母さんは、僕等に抗議の電話をかけてくるでしょう。でもお前のお母さんの言ってくる言葉は分からないので、心配していません。』

3個目くらいを開けると、中からみんなからの手紙が入っていた。これにはジンときた。
4個目には、涙を拭くためのトイレットペーパーだけが入っていた。拭いた。
5個目には、もう一本缶ビール。もう飲めない。
6個目は、イタリア代表のユニフォームに僕の名前が入っていた。泣いた。

という訳でウリッセは、日本にいる。

もっと早くここに書きたかったのだけれど、大阪や京都にも友人がいるので僕の日記を見てしまったら、サプライズは半減してしまうので我慢していた。

それにしても、彼は楽しみ方を知っている。



2010年11月14日日曜日

さっそく5時半じゃないけれどね。















さて突然ブログをはじめてみる。
理由は単純明快だ。

1番目は、朝早く起きてやることが欲しかった。(5時半に書き始めて6時に書き終わりたい)
2番目は、続けるものが欲しかった。(継続は僕の弱点である)

以上2点である。

ブログを通じて、どのようなコンテキストを、どのような読者を想定して書いていくかは、徐々に定めていきたい。いまはとにかく、書き続けることだ。試合に出場しなければ、シュートは打てないからね。

『世の中に向けて声を大にして発信することが今の時点では見当たらない。』

これは東京時代の同居人が言っていた台詞だけれども、彼の影響を強く受けていた2年ほど前は、そりゃそうだなと思い込んでいた。思い込みと同時に、それは考える(言語化していく)作業から逃れるための台詞だったわけである。あの時と少し状況も違ってきているし、書き始めてみよう。

一応ルールをつくっておく。制限をあえて作ってしまおうと思う。

(1)翻訳可能な言葉を使うこと。(テキストを日本語から英語にしても言いたいことがだいたい分かるブログにしていくこと)

(2)30分以内に書き終えること(もちろん長いものは無理だけれどね)

(3)。。。

まずは2つ。いずれ増やしていこうと思う。